「やらなきゃ」はわかってる。でも体が動かない。

副業のブログ、更新しなきゃ。
子どもと遊んであげたい。
家のこと、少しでも手伝いたい。
頭の中にはやるべきことが並んでいる。
何をすればいいかも、ちゃんとわかってる。
なのに、体が動かない。
ソファに座ったまま、
そのままずるずると横になって。
気づいたら床に転がってて。
妻が話しかけてきても、返事するのがやっとで。
そのうち、
「何もできていない自分」
への罪悪感と自己嫌悪が頭の中でぐるぐると回り始める。
やらなきゃいけないことはわかってる。
でも気力も体力も、もう残ってない。
この感覚、私だけじゃないと思う。
交代勤務をしながら、
40代で、家族を養いながら、
さらに副業までしようとしている人なら、
絶対に一度は経験しているはずだ。
この記事では、
私が15年間の交代勤務で経験してきた
「何もできない日」の話と、
それとどう折り合いをつけてきたかを書いていこうと思う。
一番きつい日は「週の切り替わり」だった

私の工場は一週間ごとに昼勤と夜勤が入れ替わる。
昼勤は8時から19時、夜勤は20時から翌朝7時。
どちらも11時間拘束だ。
この切り替わりの日が、正直一番しんどい。
たとえば夜勤の最終日、朝7時に職場を出る。
帰宅して少し眠れたとしても、
夕方には体は「夜勤モード」のまま。
でもその夜からは昼勤が始まる準備をしなければならない。
体内時計が完全にバグる。
眠いのか眠くないのかわからない。
お腹が空いているのか、気持ち悪いのかもわからない。
とにかくぼーっとして、
何かをしようとする意欲が、
根こそぎ消える。
この日に限っては、
ソファに倒れ込んで、
そのまま動けなくなることが本当に多かった。
食欲もおかしくなる。
「何か食べなきゃ」と思っても食べられなかったり、
逆に何も考えずにどか食いしてしまったり。
家族が話しかけてきても、
言葉を返すのが精一杯で。
子どもが「パパ遊ぼう」と来ても、
「ちょっと待って」しか言えない。
それが毎週繰り返される。
HSPだと、疲れの「重さ」がひと味違う

元美容師だった私は、
接客業の疲れは
「人の感情を受け取る疲れ」
だと思っていた。
でも工場の疲れはそれとは少し違う。
音の種類が、情報の量が、とにかく多い。
機械の稼働音、アラーム、フォークリフトの音。
人の声も飛び交うし、ライン上では常に気を張っている。
普通の人なら「仕事中のBGM」として処理できるものが、
HSPの私には全部、ちゃんと「情報」として入ってくる。
それが11時間続く。
体の疲れだけじゃなくて、
神経も、感覚も、全部が使い切られた状態で家に帰ってくる。
だから「仕事が終わったら切り替えて副業しよう」
という発想が、そもそも成立しない日がある。
スイッチを切り替えようとしても、
スイッチを押す指の力さえ残っていないような感覚、
とでも言えばいいか。
以前は「自分が弱いせいだ」
と思っていた。
もっと体力があれば。もっと精神力があれば。
でも今は少し違う見方をしている。
HSPは刺激の処理に、
他の人より多くのエネルギーを使う。
それは弱さじゃなくて、そういう仕様なんだと。
だからといって疲れがなくなるわけじゃないけれど、
「なんで自分だけこんなにしんどいんだ」
という自己嫌悪は、少し薄れた。
「わかってる、でも動けない」の正体

やらなきゃいけないことは、
ちゃんと見えている。
ブログの下書き、
途中のまま放置してある。
子どもとの約束、先週から持ち越してる。
妻に「ありがとう」の一言、言えてない日が続いてる。
全部わかってる。
でも、動けない。
これが一番しんどい状態だった。
「やる気がない」んじゃない。
やる気はある。気持ちはある。
ただ、それを実行に移すための「燃料」が、
タンクに残っていない。
車でいうなら、
行き先はわかってるのにガス欠で動けない、みたいな。
そしてその状態のまま時間だけ過ぎていくと、
今度は罪悪感が積み上がっていく。
「また今日も何もできなかった」
「このまま何も変わらないんじゃないか」
「家族に申し訳ない」
その罪悪感が、
さらに心のエネルギーを削っていく。
負のループだ。
これに気づいたのは、
抑うつ状態になってからだった。
あの頃の自分に言ってやりたい——
「動けないのはサボりじゃない」と。
折り合いのつけ方:「何もしない」を正式メニューにした

今も「何もできない日」はある。
完全になくなったわけじゃない。
ただ、そこへの向き合い方が変わった。
「何もしない時間」を、罪悪感なく認めるようにした。
具体的には、週の切り替わりの日は最初から
「回復日」と決めてしまった。
この日は副業しない。
この日はブログを書かない。
この日は「ソファで横になるだけ」でいい。
そう決めると、
不思議なことに罪悪感が薄れた。
「サボってる」じゃなくて「回復してる」
という認識に変わるだけで、
ずいぶん楽になった。
人間の体は、
動かすだけじゃなくて休ませることも
「作業」なんだと思う。
特に交代勤務で働いている体は、
休息自体が仕事のうちだ。
何もしない日があるから、
次の日に少し動ける。
それでいい。
やる気は「出すもの」じゃなく「待つもの」

40代になってから気づいたことがある。
若い頃は「やる気を出せ」という言葉を信じていた。
気合いとか、根性とか、
意志の力でどうにかなると思っていた。
でも今は違う。
やる気は、出すものじゃなくて、
戻ってくるのを待つものだと思っている。
無理に絞り出そうとすると、余計に枯渇する。
ちゃんと休んで、体が満たされると、
自然とまた動きたくなってくる。
ブログだって、
「書かなきゃ」
と追い詰めている時は一文字も出てこない。
でも回復した翌日の朝、不意に
「あ、これ書いてみようかな」
という気持ちが湧いてくる。
それを逃さず書く。
それだけでいい。
毎日コツコツやれる人間じゃなくていい。
動ける日に動けばいい。
「何もできない自分」を責めないためのひとつの考え方

最後に、これだけ伝えさせてほしい。
交代勤務をしながら、
家族を養いながら、副業も考えて、
健康にも気を遣って——
それ全部やろうとしている時点で、
すでに十分すぎるくらい頑張っている。
「何もできない日」があるのは、
弱いからじゃない。
それだけのものを背負って、
それでも前を向こうとしているからだ。
動けない日は、動かなくていい。
ソファに倒れていていい。
返事が遅れたっていい。
ただ、そこに罪悪感を乗っける必要はない。
体が「もう無理」と言っているサインに、
正直に従うことは、逃げじゃない。
私はそう思うようになってから、
少しだけ楽になった。
完璧じゃなくていい。
壊れない範囲で、続けていければいい。
それが、私の「弱くても生きていける働き方」だ。
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🔗[40代HSP向け:疲れた時の“弱くても生きる”コツ]
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まとめ:動けない日は、回復している日
- 交代勤務の週の切り替わりは、体内時計が狂って「何もできない」状態になりやすい
- HSPは職場の刺激処理に多くのエネルギーを使うため、帰宅後の消耗が大きい
- 元美容師として感じた「接客の疲れ」とは質が違う、工場特有の情報量の多さがある
- 「やる気はある、でも動けない」はサボりじゃなくてガス欠状態
- 「何もしない日」を罪悪感なく「回復日」と決めてしまうと楽になる
- やる気は出すものじゃなく、戻ってくるのを待つもの


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