「足りない」より、「稼げない自分」が、ずっと辛かった。
今になってそう気づく。
当時はその感情に名前すらつけられなかったけれど。

失業保険が、切れた
子どもが生まれた年の秋、妻の失業保険が切れた。
特別な出来事があったわけじゃない。
ただ給付期間が終わった、それだけのことだった。
でもその日から、財布の中身の計算が変わった。
3人分の生活を、私一人の給料で賄う。
手取りは、残業なしで18万円。
それが私たちの現実になった。
保育園はなかなか見つからなかった。
申し込んでは待って、また申し込んでまた待った。
妻は仕事に戻りたくても戻れない。
収入は増えないまま、子どもだけが日々育っていく。
頭の中でいつも計算していた。
今月は足りるか。来月はどうか。
小学校、中学、高校、大学と積み上げるたびに、
数字が合わない未来しか見えなかった。
自分から削っていった

釣りが好きだった。でも道具を買うのをやめた。
結婚前に売ったバイクのことは、
もう考えないようにした。
自販機の前で一瞬立ち止まる癖がついた。
立ち止まって、通り過ぎる。服はいつの間にか買わなくなっていた。
髪は自分で切るようにした。
美容師をやっていたから、それだけはできた。
タバコも辞めようとした。3ヶ月で負けたけれど。
削ることに、だんだん慣れていった。慣れてしまった自分に気づいたとき、少し怖かった。
イライラの正体

お金の不安を、妻に打ち明けることはしなかった。
その代わりに、金銭感覚のすれ違いにイライラするようになっていた。
食卓のおかずの品数が気になった。
生活雑貨にブランド品を選ぶことが引っかかった。
20代の頃に5年間、本当に貧しい一人暮らしをしていた。
節約が体に染みついていて、
お金がないならないなりの選択があるはずだと思っていた。
でも今になって思う。あのイライラは、妻に向けたものじゃなかった。
稼げない自分に、腹を立てていた。
それを認めたくなくて、別のところにぶつけていた。
そういうことだったんだと思う。
スマホを開いた夜
ある夜、仕事から帰ってきてスマホを開いた。
当時は月100時間を超える残業があった。
昼夜問わずシフトが変わる交代勤務で、体はいつも疲れていた。
せめて小遣い分くらい自分で稼げないかと思ってネットを調べていたとき、
「副業」という文字が目に入った。
時間が不規則でもできる。
場所を選ばない。これなら続けられるかもしれないと思った。
やってみた。うまくいかなかった。
別の方法を試した。
またうまくいかなかった。
誰かに相談しようとは思わなかった。
自分でなんとかするしかない問題だと、最初から決めていた。
挑戦しては失敗して、
何もできない自分に嫌気がさして、
それでもまたスマホを開いた。
[5/25投稿:40代工場勤務でも副業は続けられる|失敗を繰り返して見つけた“継続の技術”]
こちらの記事では、副業を始めた当時の葛藤から、どうすれば「継続」できるかという具体的な思考法までを記録しています。
辛かったのは、お金じゃなかった
辛かったのは、お金が足りないことじゃなかった。
稼げない自分の、能力のなさを痛感することが辛かった。
18万という数字よりも、その数字しか稼げていない自分が情けなかった。
その気持ちは、誰かに話せるようなものじゃなかった。
[7/10投稿:40代で「工場・交代勤務は向いていない」と痛感したら。元美容師が15年かけて悟った、辞めたい気持ちとの折り合い方]
#https://yowakutemo-ikiru.com/factory-work-mismatch-40s/
限界を感じているのは決してあなただけではありません。私自身がどのようにしてその感情と向き合い、今日まで歩んできたかを綴りました。
今、ここにいる

あれから15年が経った。
手取りが大きく増えたわけじゃない。
副業で稼げるようになったわけでも、まだない。
それでも今、またブログを書いている。収益はまだゼロだ。
やめない理由をうまく説明できないけれど、
あの夜スマホを開いた自分を、
なかったことにしたくない。
それだけのことかもしれない。
同じように、誰にも言えずに夜を過ごしている40代の人がいるなら。
あなたが感じている焦りは、おかしくない。
私も、ずっとそこにいた。
[6/6投稿:■ 無理をしない働き方を取り戻すための“生存戦略”]
今の環境で壊れずに働き続け、なおかつ未来へ種を蒔くために。私が15年かけて体系化した、無理をしないための生存戦略をまとめています。

コメント